辞めないときがすまないその3
これまでの仕事に関する違和感は何だろうか?
それは、一度は辞めないときがすまない、自分で選んだ気がしない、そんな性分からくるものかもしれない。だからこそ、じっと耐えた。やり過ごしてきた。
もう一つは、ひょっとして、本当に適性がないのかもしれない、ということだ。
それらについて、決定的な出来事がいくつかあった。
一つは、3年ほど前に、出張先で突発的に、PC研修のための敷設を監督することになったときだ。年金の講習会の現場責任者であり、法令解釈の講師でしかないはずが、どうしてもPC設営の人間がいないため、自らそれを行うことになったのだ。
傍から見ても「かかりちょー、いつもと違ってイキイキしてますね!」なんて声をかけられた。
そうだその通りだ。自分に正のエネルギーが満ち満ちてくるのを感じていた。PCの知識が多少でもある人間を選抜し、CEとして働いてもらい、次々指示を出す。50台のPCはほんの1時間足らずでセットアップ終了となった。
もう一つは、最近の出来事だが、ひょんなことからシステムに関する提案書を書くのを手伝った。メールで連絡を取り合いながら、ドキュメントを仕上げていく。その過程は鳥肌が立つほどにワクワクするものだった。ほんの数日だったが、睡眠さえ削って没頭した。久しぶりに得る充足感だった。
だから僕は、
そんな仕事が、仕事のやり方が大好きなのだ。そして、そういうやり方やポジションを、誰から与えられるのではなく、自分で選びたいのだ。
自分で選択した道で、仲間ともみくちゃになりながらゴールを目指したい。
なので、今のように、大きな組織の中で、自らの選択や判断は問われない価値がない、という状態では、窒息してしまうのだ。息苦しさに耐えかねて、あえて関わらない、まじめに取り組まないようにしていると、今度はリアリティがなくて、違和感ばかり感じるのだ。
今年、退職金を計算してみた。住宅ローンが清算できる額になっていた。別の道に踏み出す大きなきっかけになった。今、魂は組織を離れ、自分の道を模索し始めている。


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