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2008.07.08

辞めないときがすまないその3

これまでの仕事に関する違和感は何だろうか?
それは、一度は辞めないときがすまない、自分で選んだ気がしない、そんな性分からくるものかもしれない。だからこそ、じっと耐えた。やり過ごしてきた。

もう一つは、ひょっとして、本当に適性がないのかもしれない、ということだ。

それらについて、決定的な出来事がいくつかあった。
一つは、3年ほど前に、出張先で突発的に、PC研修のための敷設を監督することになったときだ。年金の講習会の現場責任者であり、法令解釈の講師でしかないはずが、どうしてもPC設営の人間がいないため、自らそれを行うことになったのだ。

傍から見ても「かかりちょー、いつもと違ってイキイキしてますね!」なんて声をかけられた。

そうだその通りだ。自分に正のエネルギーが満ち満ちてくるのを感じていた。PCの知識が多少でもある人間を選抜し、CEとして働いてもらい、次々指示を出す。50台のPCはほんの1時間足らずでセットアップ終了となった。

もう一つは、最近の出来事だが、ひょんなことからシステムに関する提案書を書くのを手伝った。メールで連絡を取り合いながら、ドキュメントを仕上げていく。その過程は鳥肌が立つほどにワクワクするものだった。ほんの数日だったが、睡眠さえ削って没頭した。久しぶりに得る充足感だった。

だから僕は、
そんな仕事が、仕事のやり方が大好きなのだ。そして、そういうやり方やポジションを、誰から与えられるのではなく、自分で選びたいのだ。

自分で選択した道で、仲間ともみくちゃになりながらゴールを目指したい。

なので、今のように、大きな組織の中で、自らの選択や判断は問われない価値がない、という状態では、窒息してしまうのだ。息苦しさに耐えかねて、あえて関わらない、まじめに取り組まないようにしていると、今度はリアリティがなくて、違和感ばかり感じるのだ。

今年、退職金を計算してみた。住宅ローンが清算できる額になっていた。別の道に踏み出す大きなきっかけになった。今、魂は組織を離れ、自分の道を模索し始めている。

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2008.07.07

辞めないと気がすまないその2

大学は、文系クラスなのに、国立の理科系を受験した。でも結局文学部に進む。まあ、これは今回のエピソードからは余談だが。

大学4年のとき、就職はどうしてよいか、さっぱり見当がつかなかった。わけがわからないまま、とりあえず今の職場に就職した。期待とか希望とかはまるでなかった。3月31日は泣きながら夕焼けを見ていた。

今の職場には、最初からものすごく違和感があった。「石の上にも3年」というから、3年ぐらいは我慢しようと思った。しかし、3年経っても、なじんではきたものの違和感がぬぐえない。仕事の進め方で、今の職場にある価値観と激突する。3年目にもなれば、うまく回避するやり方も覚えたが、違和感は続く。

その頃、盛んに転職活動に励んだ。2、3社は面接まで進んだが、結果的に折り合いがつかなかった。そうこうしているうちに、結婚、不動産の購入、父の死、とライフイベントにもみくちゃになる。子供が出来て、妻が無収入になり、そうそう仕事を変えるわけにもいかなくなった。というか、世の中はバブルもはじけ、そんな中、公務員であることのメリットを最大限に利用しないてはなかった。

10年経った頃、ひとつの達成感というか、燃え尽き感を覚えたことを記憶している。「もうここで学ぶべきものがない」そんな感じだった。

無気力な日々が続いた。

しかし、8年前になるが、システム係長の席をあてられる。自分の希望と、得意分野と、成果が沢山出せた、幸福な時代だった。業界では異例のことだが、5年間その席を任された。

5年目の冬。「もう代わってもらわないといけない」と人事に告げられた。どうしてよいかわからなかった。ただ呆然とするのみだった。「好きなところ、行きたい部署はあるか?」と破格のアプローチも受けた。ありがたいと思いつつ、心から感謝するわけには行かなかった。

しかし、カウンセラーの資格を既に取得していたので、唯一それが活かせそうな職場をお願いした。それが年金相談員である。

願いはかない、年金相談員として過ごした3年間は、スタッフにも恵まれ、上司にも恵まれ、とても充実した日々だった。

それでも。
それでも、根本的な違和感。これはぬぐえなかった。いずれはこの席も異動させられる。漠然とした徒労感、不安感にいつも支配されていた。

そしてこの4月。ついに、自分の価値観とはまったくあわない部署への転属となる。

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2008.07.06

辞めないと気が済まないその1

ボクは一度は辞めないと気が済まない性分かもしれない。
辞める、というのはあくまでも自分の中の基準ではある。

小学生の頃、自分はダメな子だなあとぼんやり思っていた。それで苦しんだり悲しんだりすることはなかったが、少なくとも優秀な子、よい子、ではないと感じていた。

ボクの声がいい、と目をつけてくれた先生がいた。カナザワ先生だ。褒めてくれて嬉しかった。
カナザワ先生は、4年からのクラブ活動を、ボクにとっては強引に、合唱クラブに入れた。本当は漫画クラブに入りたかった。だって友達がいないもの。合唱クラブは5年生の女の子たちばかりだった。彼女たちはそれなりに世話を焼いてくれたという思いでもあるが、友達にはなれなかった。当たり前だけど。

5年生からは、特別指導というものがあり、合唱と水泳があった。カナザワ先生はやはり強引に合唱部に入部させた。

ボクは実は、水泳部がよかった。なぜなら、水泳には少し自信があった。4年生の夏休みには毎日学校のプールに通った。そこそこ泳ぎがうまくなったと感じていた。

合唱部の先生も、カナザワ先生も、プールにあまり入るなといった。声が悪くなるかもしれないというのがその理由だった。でも、泳ぐこと自体好きだったので、別に夏休みだし、先生たちにとがめられることはないと、毎日泳いだ。

5年生の5月から、合唱の練習が始まった。放課後残された。土曜日の午後は死ぬほど嫌で、こっそり抜け出そうとしたことも何度かあった。でも、6年生のオネエサマ方や、同級生の厳しい監視の目をくぐるのは容易ではなかった。

6月になり、水泳部の練習が始まった。ボクはそれを、合唱部の練習をしているプールの隣の体育館から眺めていた。

そしてある日。決心した。

辞めやる。

先生にも親にも、合唱部はやだ、といってきた。一度ならず水泳部に行きたいとも言ってきた。「お前はよい声だから」とか「お前は途中で投げ出す気か」とか、なだめたりすかされたりしながら、合唱を続けさせられた。

多分、泣きながら、親に訴えた。「合唱をやめて水泳がしたい」

数日の後、ボクは水泳部に入ることを許される。

そして、ボクはそれに打ち込む。結果的には優秀な成績を残した。生まれて始めて、全校集会で、みなの前の壇上で賞状を貰った。生まれて初めて「認められた」気がした。

その後。
中学には水泳部が無く、仕方なくボクはテニス部に入部する。
2年生のときレギュラーになれなくていた。その頃、クラスメートから「バレーボール部に来てくれよ」と誘われる。たまたま2年生は人数が少なく、また、長身のものがいなかった。

ボクはしばらく考えたが、テニス部を辞めて、バレーボール部に入部する。
弱小の部活だったが、それでも和気あいあいと楽しい日々だった。結局、レギュラーにもなれず、3年生の最後の大会も、全敗。それでもバレーボール部に在籍した日々は、数少ない中学でのよい思い出だ。

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